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 ヴァージニア州マナッサス 1900年12月。
世界は列強同士で小競り合いに明け暮れているが、この大陸においてはそのような点では平和である。
だが、それが絶対であるかというとそうではない。
なぜならば、なぜならば。
それは私が立つこの土地をみれば明らかであろう。
大西洋に面しているこの土地から太平洋に面するサンディエゴにいたるまで要塞線が築かれている。
そこに面するのは連合の殆ど全兵力、逆襲用の歩兵師団二個、治安維持にあたっている騎兵師団3個を除くすべての師団がこの要塞に篭って北を毎日見つめている。
そこには連合建国以来最古にして最大の敵、合衆国が横たわっている。
独立戦争、第二次戦役。第三次戦役と十数年に一度は戦争を行っている。宿敵である。
つい15年程前にも連中は戦争を仕掛けてきた。三次戦役は連合がカリブを開放している最中で初動が遅れたが要塞と塹壕に拠る連合軍は一歩も連合領に足を踏み入れさせず、逆にハイエナどもの首都をはじめ北東部を占領し賠償金を得ることが出来た。
私の属するこの北部ヴァージニア軍はその逆襲の主役であった歴戦の軍団だ。
独立戦争のときは集った義勇軍を傘下におさめ、ヴァージニア州を守り、敵の首都を陥落させるという戦果をあげた。
ワシントン攻防戦で戦死したリー将軍の後を継いだジャクソン将軍によってワシントンを敵の反撃から防ぎ、連合に勝利をもたらし、二次戦役の際も積極的に打って出た。
多くの軍団が解散、再編し、数字のみを関しているにもかかわらず北部ヴァージニア軍団だけがその名称の使用を続けている理由はこの戦歴にあるのだろう
現在の北部ヴァージニア軍は、隣の州に展開している第二軍団、ノーフォークで待機している第四軍団と並ぶ数少ない侵攻用戦力であるが、メキシコ平定や中米平定、ましてやカリブ征伐など、一度たりとも前線を離れたことが無いのだ。
理由はある。
この軍団が余りにも戦力がありすぎ、引き抜いた瞬間北の豚どもが戦争を仕掛けてくる。上層部はそう思っているのだ。
ゆえにこの軍団は栄光に包まれつつ、軍靴で蹂躙したことのあるとちはワシントンとその周辺程度なものだ。



退屈なものだ。
要塞に収まり、自分用の防毒マスクを眺めながらふと、思うことがある。
独立戦役で義勇軍の到着が遅くさらに少なかったならば。70年に段階的奴隷解放が行われなかったならば。中米併合が成功しなかったならば。
たった一つでも出来なかったのならば現在の連合はなかったのだろう。
かつて、兵力では常に劣勢。人口で半分。工場は1/6に過ぎなかった連合は、いまや世界最強の軍備を誇り、世界でも最高クラスの工業力と、列強最大の人口(奴隷解放と社会改革による移民受け入れ体制が大きかった)をもつのだ。
いかに北のハイエナどもが貪欲だからといって、戦争を仕掛ける気にすらなるまい。
何しろこちらは第三次戦役の頃は予備役すら動員せずにワシントンを蹂躙したのだ。


願わくば。私が現役であり続ける後3年ほど常に退屈でありますように。